神様と私の出会い


ここでは、神様に出会って新しい人生を歩んでいる方に、「どのようにして神様に出会ったのか。」また「神様に出会って人生がどのように変わったのか」・・・などなど、クリスチャンのお話をご紹介していきます。

神様との出会い

 

 江戸川台バイブルチャーチ

 榎本 優子

私は、家族で教会に行っていた為小さな頃から、日曜学校や礼拝に出ていました。そしてイエス様を信じたのは、小学1年ぐらいの頃だったと思います。それからは、「誰も見ていなくてもイエス様は見ておられるので良い行いをしよう。」そう心に決め、意識して廊下などに落ちたごみを拾ったりしていた記憶があります。

 

私が小学校3年の時、病気で入退院を繰り返していた母の死に直面し、まさか自分の親が亡くなるとは、思ってもみなかったことに、大変ショックでした。悲しみと淋しさのあまり毎晩床の中で泣き、母を思い、同時に生や死についてもいろいろ考えるようになりました。人は何の為に生きているのだろう‥‥と。それから2年後、父が再婚し、悲しみも少しずつ消え、最初は手伝いも楽しかったのですが、だんだん慣れてくると、友達と遊ぶのに忙しく、母との約束の手伝いもサボるようになりました。そしてちょっとした事から、自分より兄のほうが、愛されている。自分は愛されてないのかも知れないと思うようになり、反抗心が芽生え始め、素直になれなくなっていった頃です。人の目や言葉に左右され、日曜学校も行かなくなりました。兄に教会に行くように言われても反発し、強く言われれば余計に「神なんていない!」など暴言を吐いたりもしました。

 

そんな中、日曜学校で担当の先生がわざわざ、電車に乗り遠くから訪問に来てくれた事を聞き、申し訳なく思い、また教会に行くようにはなりました。それでも私の心はかたくなで、家族みんなにつられて信仰を持つのは嫌だ、また自分が罪人であるとは認めたくなく、人と比べたらそんなに悪い人間でもないし、まあ普通か普通より少し増し位とさえ思っていました。でも実際の私は、ちょっとした事でひがんだり、すねたり、こうしようと思っても出来ない不甲斐なさも感じはじめ、心には葛藤がいつもありました。

 

中学生になって部活に入ると、練習や試合で教会を休むことも多くあり、たまに礼拝に出ると、説教がまるで自分のことを言われているようで、胸が痛く、御言葉が心に突き刺さる思いでした。私が中学三年の時、牧師夫人の先生から、再度、信仰決心の促しと祈りがあった時でした。・・・十字架上で釘打たれるイエス様の苦しみが自分の苦しみに感じ、私の心の底から込上げてくるかのように、言葉で人を傷つけたこと、神などいないと暴言を吐いたこと、人には隠せても、妬んだりひがんだり醜い思いがあって、自己中心に物事を考えて神を認めなかった事等が走馬灯のように示され、本当にイエス様の十字架上での苦しみは自分の罪の贖いのためであったのだ。「イエス様ごめんなさい!主よ!私の罪を赦してください!傲慢な私を!」と、涙が止まらず祈った時に、熱いものが身体中をかけめぐり主の深い愛を感じ、主に赦された思いがしました。心が晴れ晴れとし、これからは、どんなことが合っても主に従っていこう。と告白したのが、私の明確な救いの体験です。

 

信仰告白後、自分の思いが、変わったなと思うのは、人を単純には悪く思わなくなりました。それは自分が差ほどの者でない、愚かな者であると、とことん示されたからです。さらに、自分の思いがはっきり変わったのは、物足りなかった心の思いに満足感と喜びが沸いてきたことです。また物事を前向きに考えるようになりました。それはイエス様が私の思いに働いてくださるからです。自分の弱さで、時には落ち込むこともありますが、御言葉を読むとき、教会に来て、御言葉を聞き賛美し祈るときに、その思いが変えられて元気になり平安で満たされるのです。これをお読みになったあなたも、試しに教会にいらっしゃいませんか?イエス様は、あなたを愛し、祝福を与えようと用意されていらっしゃいます。是非おいで下さい。歓迎しお待ちしております。


確かな人生を求めて

Mさん

 

私はクリスチャンホームで育ったせいか、幼い頃から神さまの存在について、そしてこの世界を神さまがお造りになったということについて、疑ったことは無かったように思います。でも、その神様が自分の人生にどんな関わりがあって、この私のためにどんなに素晴らしいことをしてくださっているのかを本当に理解するまでに30年もかかりました。

 

 大学を卒業し、就職した2001年は、IT需要の減退で経済は世界的な不況に陥り、あの世界同時多発テロがあった年でもありました。

その頃のニュースや新聞では、リスク管理とか危機感という言葉がしきりに取り上げられ、会社では、10年後のリスク管理のために、危機感をもって仕事をしろ!と日々不安をあおられていました。ですから私自身も人生に対する危機感を持ち、将来に対する十分な備えをしよう。そのためには、どうしたらよいのだろうか。と考えていました。

 

そのせいか、クリスチャンとして毎週礼拝に集い、神さまに頼って人生を歩んでいる両親の後ろ姿は、何とも弱々しく、不安定なものに見えて仕方がありませんでした。

「自分は親のようになってはだめだ。自分はうまくやっていこう。」

わたしのこんな思いは、神さま不在の信仰観の表れでした。

 

就職活動を経て何とか入社した私ですが、社会に出て先輩や取引先などの様々な方々に接していると、人生を真剣に歩んでこなかった自分の薄っぺらさを痛感しました。信頼されるような人間になりたい。認めてもらえるような仕事をしたい。そのために良い結果を残したい。このことのために私は、毎日夜遅くまで仕事に熱中しました。

 

入社して8年。良い結果を得て、良い関係を築き、私が求めていたことをやっと掴むことが出来たんだと、そう思えるはずでした。

しかし、実際には自己実現による喜びも満足感も、私は手にすることができませんでした。

それどころか、仕事を通して人間の本質にある醜い思いや、欲望が自分の心の中にも存在することを知りました。

私は虚しさで心が渇いて、牧師先生のメッセージが心に響いてこないようなそんな状態でした。

 

「こんな人生をこれから30年も続けて一体何になるのだろう。」

 

私は、こんなことを考えるようになり、このときに初めて神さまに背を向けている自分の姿を知ることができました。

 

これまで、30年にもわたり教会に行き、神さまを信じていると言いながら、

自分のために生き、己の力で何とかしようとしてきた自分の不信仰をわかっていなかったのです。

そして私のように、目的を見失ったまま人生を歩み、滅び行く魂がこの日本にはどれほどたくさんいるだろうか。

 

しばらくして、私は会社を辞めるという決断をしました。

これから何十年と仕事はしていくわけだし、それなら神様のことに関わった仕事をしていく方が良いのではないか・・・。

それは、神様に立ち返ろうという自分自身の決意表明でした。

 

日々の仕事に追われる中で、聖書の話をしてみたり、友人を教会に誘ってみても、自分の力で伝えることがとても難しいことを実感しました。

 

私が就職をした2001年から、15年の時が経ちました。

現在の世の中の状況を見渡してみると、政治や経済、宗教に民族、人間関係など問題は山積みです。

 

己の努力や、力で人生を形成し、コントロールすることは私には出来ませんでした。むしろそこには、自分自身が気づくことすら出来ないほどの想像をはるかに越えた全知全能の創造主であられる神さまのご支配と大いなる摂理があり、自分はその中にただただ生かされているにすぎないのだということを通して、己の存在の小ささに気付くことが出来たとき、はじめてイエス・キリストの大きな愛と、十字架による贖いの真(まこと)の意味を知ることができたような気がします。

 

「まことに主は、ご自分の偉大な御名のために、ご自分の民を捨て去らない。主はあえて、あなたがたをご自分の民とされるからだ。」

(サムエル記第一122022節)